Jonas Mekas Film 上映会@横須賀 レポート

西村大佑

「申し込みが相次ぎ、定員に達しましたので、申し訳ありませんが・・・」

という悲しいお返事が届いたことを鮮明に覚えている。
あれは、2014年2月のことだった。
「ギャラリーときの忘れもの」でジョナス・メカス新作の上映会があったのだ。
その申し込みメールへの回答を読み、肩を落とした。
新作「幸せな人生からの拾遺集」原題は「Out-Takes from the Life of a Happy Man」
私は悲しさや、もっと早く情報を掴めなかった自分への悔しさから「ハッピーマン、ハッピーマン、ハッピーマン」
と連呼しながら部屋を右往左往していた。
すると、どうだろうメールの着信音が鳴った。
再びギャラリーからだ。一体なにがあったのか、キャンセルが出たのだろうか。席がなくとも、
 床でも壁でもいいから見せて欲しいと懇願した、図々しいメールへの二度目の返事だった。
「少々窮屈かもしれませんが、もし立ち見でよろしければご参加下さい・・・」
私は神奈川県は三浦半島の横須賀に住んでいる。
半島と言えども左右と下部を海に囲まれ、蓋の様な山が僅かに他市と接地している土地。
それは、ほぼ島。
東京から一時間程度の距離にありながら流行に疎く、情報は遅れてやってくる、そんな立地だ。

その横須賀で新たに若い人達へ向けて、メカス作品の上映会をできないだろうか。

作為的、好戦的な昨今だからこそ、もう一度ジョナス・メカスのタネを蒔くことに意義がある。
新作「―――a Happy Man」を観た帰り道、ヨコスカ・シネクラブの方とそんな話をしながら帰途についた。

程なくして、私とメカスマニアの友人、そしてヨコスカ・シネクラブの大先輩と共同でメカス上映の実行委員会を立ち上げた。

妄想を気球の様に可能な限り膨らませ、最後に残った小さな風船でもよいから上映会を実現しよう。
そんな思いで「バルーン・シネマ」と名付けた。
2014年8月24日 日曜の午後、暑さも一段落して心地良いそよ風が丘を流れた。
搬入口から16mmの機材が運び込まれる。
映写室のない横須賀文化会館の中ホール、客席の一番後ろにむき出しの映写機が設置される。
灯りを落としテスト投影。フイルムがカタカタと音を立てて回り始める。
ELMOのレンズから溢れる光、その中を小さな埃の粒子が浮遊している。
座席の配置調整で動くスタッフの影が画面を横切る。
いったい、どれだけの影がこのフィルムの前を通って来たろう。
白い四角、印象的な白い四角がスクリーンの右上に映る。
メカスさんの穏やかで、ゆっくりとした声。
「Reminiscences of a Journey to Lithuania」の文字。
ああ、映った、映ったぞ。
この数ヶ月思い描いていた映像。
数コマのブルックリン、「HENRY MILLER GREW UP HERE」
路上のいたずらっ子、髭もじゃの歩く男、揺れる木々。
私はホールを出て受付の準備に向かった。

撮影:小林美香沙
限定された映像マニアや、アンダーグラウンド映画ファンだけでなく、色々な人にメカスさんを知ってもらいたい。
「利潤ではなく、美しさを生み出すために、すべての人を対象に上映されるだろう」
準備期間中、ずっと私の内にあり、行動の源泉となっていたメカスさんの言葉。
さぁ、種々雑多な人々よ、是非ともいらっしゃって下さい。どんなエステよりもメカスは効きますぞ。人を内側から美しくするのですから。
坂を上り、色々な方が来て下さった。あぁ本当に色々な顔があった。
魚釣りの帰りに慌てて駆けつけて下さった方は、ほんのり磯の香りをまとっていた。
民族衣装を個性的に着こなした女性がいた。
現場仕事から作業着で走って来た方がいた。
元気な夏の陽射しに焼けた子供たち。
迷惑かなと思いながらも、預ける所が見つからず子供を連れて来場した若いお母さん。
少し不安気な顔で「それでも、どうしても観てみたかったの」と話してくれた。
「リトアニア人の友人がいて、彼の故郷はどんな風景なのか興味があって来た。」という船乗りのお父さんは白髪に深く黒い肌。それは海の男そのものだった。
色々な顔があった。色々な思いが目に映っていた。
休憩中に資料やコメンタリーを食い入るように読んでいる青年。

今回の「リトアニアへの旅の追憶」は字幕がない。
しかし、私たちはメカスさんの言葉も紹介するべきだと考えていた。
ある時、今回の上映会に役立つだろうとメカス関連の資料を寄贈して下さった方がいた。
ヨコスカ・シネクラブのメンバーである彼は、長い年月の活動で蓄えてきた貴重な資料を無償で提供して下さった。
その中に、数十年前の上映会で配られたという飯村昭子さん翻訳のコメンタリー全文があった。
飯村さんといえば、黒と銀の装幀が印象的な「メカスの映画日記」(ジョナス・メカス著 フィルムアート社発行 装幀 植田実さん)の翻訳者としても著名な方だ。

幸運にも私は飯村さんの連絡先を見つけることができたので早速メールを送ってみた。
見ず知らずのアドレスからのメールを読んでもらえるだろうか、そもそもこのアドレスは現在も使われているのだろうか。
ところが、予想に反して直ぐに返信があった。

「思いがけないことで、うれしくなりました。メカスさんも喜ばれると思います。」

飯村さんは、私たちの上映会の趣向を良く理解して下さり、無償でコメンタリーの使用を許して下さった。
メールには「同時にチュルリョーニスのピアノライブまであるなんて、私も参加したかった。」
という嬉しいお言葉まで書かれていた。

「メカスさんの言葉は映像と同格で、けっして説明ではありません。」

という飯村さんのメッセージはとても響き、今回の上映会でも紹介させて頂いた。

そう、私たちはチュルリョーニスのライブまでやるのです。
百年以上前に生きた彼に会ったのです。

当日、ピアニストの夏苅 由希さんは緊張していた。
「こんなに、聞こうという皆さんの神経が集中している客席は、あまり体験したことがない。」
閉会後にそんな言葉を残してくれた。
彼女は、三人の子供の育児をしながら音楽教室「三本の木」を主催している。
クラッシックのピアノを扱いながらも、町のカフェや小路で会えばいつも元気で、声も大きく情熱的な女性。
リトアニアをイメージしたという可愛らしい服装に身を包み、しなやかに鍵盤に触れるその姿は、今しがたまで、

そこにあったスクリーンの中、セメニシュケイで静かに料理をするメカスさんの母親、
花柄の美しいスカートの、あのお母さんに重なっていった。
短いが美しく、優しい余韻が会場を抱擁していた。

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 撮影:筑間一男
懇親会で地元のお魚をつまみながら、ワインを片手に若い女性が言いました。
「こんな映画があったんですね。」
そう、こんな映画があったのです。そしてあんな映画もまだまだあるのです。
メカスさん、あなたはこうおっしゃいました。
「どこかで一匹の蝶が羽ばたけば、それだけで、世界は決して同じままではいられない。」

私はあなたに出会いました。チュルリョーニスにも出会いました。
あなたの振動で、スタン・ブラッケイジを知りました。ジョセフ・コーネルの美しさも知りました。

敬愛するジャン・ジュネが映画を撮っていたことも、それを擁護したためにあなたが監獄に入れられたことも、
信念の為に戦うとはどういうことかも知りました。
私たちはもう、同じままでは決していられないでしょう。

今回の上映会を行うにあたり、木下哲夫さんをはじめメカス日本日記の会の皆さん、

ナジャ、リトアニア共和国大使館、飯村昭子さん、
ヨコスカ・シネマアカデミア、そして「ギャラリーときの忘れもの」
綿貫不二夫さん令子さんには多大なご協力を頂いたことを感謝し、この場を借りて御礼申し上げます。

ありがとうございました。

この様な素晴らしい出会いを与えて頂けたことと、一見、大き過ぎるほど膨らんだバルーンが破裂せずに浮かび上がり、

無事に着地できたことを考えると、私自身も一人の「A HAPPY MAN」であったのかもしれません。
Jonas Mekas Film Festival @ Yokosuka
バルーン・シネマ 西村大佑

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“ときの忘れもの” 綿貫様へ
ジョナス・メカス&チュルリョーニス、そして夏苅由希のピアノ演奏展に約80人の方々が足を運んでくれました。

メカスさんのカメラは根源的で自由で、シャッターは存在する事物を慈悲にあふれた眼で肯定する。
そして映像はリズミカルに歌い踊る……失った故郷のリズムなのか?

「20歳の時、この会場でリトアニアへの追憶を見ました。39年前の事です」。

客席では若い30代の女性が目を赤くして「泪が出て」「メカスさんの本は図書館にありますか?」と、
彼女の吟線に触れた「リトアニアへの旅の追憶」。

「目が回って」といつも何人かの人たちが率直に言ってくれます。「そうですね」と答えます。

が私は、こんな方法が思いついたのです。と、スクリーンに映る映像を見るでなく見ずでなく、
少し瞳孔を拡きます。半眼・半酔状態で観ます。ひびくのです。と!

「リトアニアへの旅の追憶」で流れるピアノを弾いていたランズベルギスさんのピアノ曲が生演奏で聴けた日。
ピアノを弾いてくれた夏苅さん特別にありがとう。
こんな日が訪れるとは、格別の想いで聴きました。

夏苅さん駅まで送る車中で
ピアノに向う時、客席の静けさにすごい緊張をしたわ。
指が硬くなって、いくつか間違えたけど、初めて聴くので大丈夫と。
でも、アンコールでリベンジ出来て、やわらかく上手く弾けたわ。
旋律が日本のわらべ歌に似ているわとも!

ヨーナス・ミャーカスさん、チュルリョーニスの時代を著したランズベルギスさん(1991年。リトアニア共和国大統領)。
長く練習をつんでくれた夏苅由希さん。スペシャル・サンキュー。

そして、この機会を創った、バルーン・シネマの西村君を始めとするスタッフで動いていた人たちに。ありがとう。

先達は“剣をペンに”と言った。
21世紀“銃弾を鍵弾に”と想う日々!

ヨコスカ・シネクラブ UOGEN・筑間 2014.8.27
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左から、ときの忘れもの亭主、ピアノ奏者夏苅由希さん、筑間一男さん
最後にですが,上映に携わった皆様,スタッフの皆様,本当にご苦労様です.
その時,その場所で時間を共有出来なかった事を悔いてなりません.
どうか,次の機会は長崎であいましょう!
Hello My Friend 365 day Project 荒木